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和田因幡為頼

植林政策の創始者にして、初代財務大臣

伊達政宗のファンの中でも、和田為頼を知る人は少ないかもしれません。
「因幡」の通称で知られる為頼は、東北の人ではありませんでした。政宗に、為頼を紹介した人物は、「活人剣」の提唱者で柳生一族のドンとして名高い徳川家臣の柳生宗矩です。

実は、政宗と柳生宗矩はけっこう仲がよくて、ひんぱんに文通しているんですね。(一筋縄ではいかない者同士、気が合うのか?)

ともあれ、大和(異説あり)出身の為頼は、伏見で政宗に召し抱えられ、最初、小姓頭に、次に山林奉行となります。為頼は、紀伊国熊野からスギの木を、遠江国浜松からマツの種子を取り寄せ、領内の山林行政に力を尽くしました。石巻渡波から山元まで十五里の海岸防潮林を完成させたとも伝えられています。

実は、伊達家は、山林行政に非常に力を入れており、山林行政だけで一冊の本が書けてしまうくらいです。「杜の都」仙台の由来が、伊達家の屋敷林から来ている逸話は有名ですよね。

為頼は、最終的に伊達家の財務大臣ともいうべき出入司にもなりました。 為頼の植林政策は、和田家二代目の和田房長、二代目川村孫兵衛、山崎平太左衛門ら に受け継がれ、以降、東日本大震災で壊滅するまで、仙台の沿岸部には、美しい松林が林立することとなります。松林は、津波の被害を減らします。
為頼らの植林には、大きな意味があったのです。
松を見たら、ぜひ為頼らの業績に想いを馳せてください。