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東昌寺

東昌寺。その悠久なる歴史

奥州街道を北へ。 仙台城から望んで鬼門の地に佇む東昌寺は、かつて本堂と五つの塔頭を擁する一大伽藍を誇っていた。
その歴史は、伊達政宗(十七代)を飛び越えて、四代の政依(まさより)にまで遡る。
奥州合戦で手柄を立て、源頼朝から伊達領を 与えられた伊達家。伊達家の四代政依は仏道に非常に熱心な人物で、京鎌倉の五山制度に倣い、次々と寺を建立した。
その政依が、伊達家の最初の菩提寺とした寺が、東昌寺である。
門をくぐり境内に足を踏み入れると、壮重な鐘楼や国の天然記念物の大木マルミガヤなどが出迎えてくれた。
「政宗が東昌寺をこの場所に置いた理由は、鬼門を守るという意味と、守備的な理由(丘陵地を抑えて仙台を守る)という二つの意味があったんだと思います」とは、案内してくれた現住職の国安住職。
米沢から岩出山。岩出山から仙台。伊達家が本拠を変えるたび、東昌寺も付き従ってきた。
仙台の街を縄張する際、「伊達領内で最高位の寺格(一門)である東昌寺の位置をどこに置くか」という議論が非常に重要な意味を持っていたことは、想像に難くない。
「豪胆な部分がクローズアップされがちだが、教養のあるエリートで、一流の文化人」
住職は、東昌寺を他ならぬ北山に置いた、政宗についての印象をそう語る。

一風軒のこと

「伊達家では、片倉小十郎が有名ですが、他にも政宗に多大な影響を及ぼした人物がいます。それが一風軒です」
しばらく、ざっくばらんに住職と話をしていると、多少、誇らしげにある人物の名を出された。
虎哉宗乙を推挙したと伝わる、一風軒(大有康甫とも) は、政宗の大叔父で伊達家の外交官として活躍した。東昌寺の十四世住職である。
「政宗から一風軒にあてた書状が現存しています。こちらへどうぞ」
住職が鷹揚に立ち上がった。

必見の宝物館「恵日堂」

住職に案内され、渡り廊下を歩くと、建物の奥に目的の宝物館 「恵日堂」はあった。
さほど広くはないが、所狭しと、貴重な逸品が所蔵されている。
・伊達虎千代丸の木像
・伊達政宗朱印状
・一風軒の肖像画
など、博物館の展示物に勝るとも劣らない寺宝の数々は、さすがに「伊達家最初の菩提寺」である。
しばし寺宝の数々に見惚れた後、寺を出ると政宗が植えたと伝わるマルミガヤに拝礼し、満足感いっぱいで寺を出た。
春には、境内の桜が咲き誇り、桜の名所となるという。
仙台に来たら、北山五山の􏰀頭・東昌寺をぜひ訪れてほしい。