仙台といえば、定禅寺通のケヤキ並木が全国的に知られていますが、その原点(型)は、江戸時代にさかのぼることができます。
仙台藩の中級武士の屋敷では、隣の屋敷との境界は生垣となっていて、桃や栗、梅といった果樹が植えられ、屋敷の裏には竹ヤブがありました。
藩祖政宗公以来、仙台藩は藩有林である広大な面積の天然林の保護に力を入れています。また、伐採の制限や禁止令を何回となく出して取り締まると同時に、杉や松、竹などの植栽も奨励しました。
仙台が「杜の都」と呼ばれた理由は、それらとは別の植栽を奨励したことにもよります。城下の屋敷は他藩と比べるとかなり広大でした。
例えば某調査によると、300~500石級の中級侍屋敷は約750坪で、住宅は50坪程度なので、敷地面積に対する住宅の割合はわずか7%程度で、約9割程度は空き地(約700坪)ということになります。
そこで屋敷には生垣と、内側には桜や梅などの果樹が植えられ、屋敷裏には竹ヤブがあり、杉や松などの樹木も植栽されています。
明治維新後もこうした屋敷が各所に残っており、うっそうとした森林が町全体を覆っているような風景だったと思います。このため仙台が「杜の都」と言われるようになったと思われます。