仙台は能楽において全国有数のメッカと言われていました。能楽と茶道は武士としての教養、たしなみであり武道に及ぶものでした。
政宗公は20歳から能楽を始められ秀吉公が能ブームを巻き起こすはるか以前からの能楽好きでした。仙台藩の能にかける意識は並々ならぬものがあり、能にかける費用は3万石、現在価値11億円あまりと言われています。
政宗公が能の見方を説いています。「第一我身の祈福なれば身を清め行儀良くし高声もせぬ様に。」 と、政宗公が能に対して敬虔な接し方をしていたのが分かります。又政宗公は能を見ていて声を上げて泣いた、ということからも戦国武将からは想像ができぬほどの高感度の方であったことがわかります。
仙台城築城の際は縄張り始の寿ぎ能を五番立てで催しました。後、藩祖政宗公の威徳を称揚せしめる仙台藩の曲「摺上」は藩主以下、裃を着用し座布団を敷かずに威儀を正して見物したそうであります。