政宗公が茶道を学ぶきっかけとも言われている出来事があります。
政宗公が伊達家伝来の茶碗で茶を飲んでいて、手がすべり茶碗を落としそうになりはっと驚きー。自分の信条である不警が破れたと、その茶碗を庭に投げて割ったのです。それから茶道を学んだと言われています。まさしく政宗公の御気性といえましょうか。その茶碗とは高麗天目茶碗であったと言われています。
政宗公は利休七哲の一人、古田織部の高弟、一世清水道閑を京都から招聘し茶道の芸術性を高め藩に確立して行きました。歴代藩主も茶道の精神性を大切に継承して行きましたが、中でも政宗公の曽孫にあたる四代藩主綱村公は数百回の茶会を催しました。
又、宮城県政だよりで紹介されましたが、今年は政宗公生誕450年、来年は四代綱村公300年遠忌です。政宗公の経済・文化を継承し今日の郷土に残る綱村公の成し得た遺産が評価されています。
大年寺山歴史市民公園には綱村公以降の歴代藩主が祀られており、毎年6月20日10時より慰霊祭が行われています。