仙台城本丸の東側の崖には、城下を見下ろすように懸造という建物が建てられました。京都の清水寺の舞台のような崖にせり出すように建てられた建物です。伊達政宗公は、慶長14年7月24日この懸造の座敷に出て、城下各所に配置した総鉄砲組に「つるべ打ち (一斉射撃)」を行わせ、ここからご覧になったという記録があります。軍事演習の成果を見極める検分です。また、政宗公は慶長18年7月21日、懸造の座敷にて、ご相伴の者たちを招いて、初鮭の料理をふるまいました。この初鮭は牡鹿郡の石巻の湊より前日に届いたものでした。晴れた日には、懸造から石巻方面や牡鹿半島を見ることができます。ちょうどこの時、50日後にメキシコに向け支倉常長を乗せ帆を上げることになるサン・ファン・バウティスタ号が、牡鹿半島の月の浦で造られていました。政宗公と家臣たちは石巻でとれた初鮭を食しながらその方向を遠望し、遣欧使節のことを語り合ったことでしょう。仙台城下の軒ごとに幟が立つ5月5日の端午の節句の日には、在国藩主が懸造に臨み、幟を見る儀式があります。また、眼下に追廻馬場で行なわれている馬術訓練を、懸造より藩主が見下ろして検分することも行なわれていたといいます。懸造は、政宗公の米沢城にもあったことがわかっており、「伊達家=懸造」といえる伊達家を象徴する伝統的な建物で、仙台城の懸造は、破損などしてもその都度修理・再建され、幕末・明治維新を迎えました。伊達家にとって特別重要な意味をもつ建物だったのです。城下からよく見えるこの数寄屋風書院造の建物は、「城のシンボル」として意味合いが濃厚で、天守を持たない仙台城「天守代用」の役割を担っていたと考えられます。このタイプの懸造は、全国諸大名の城郭においてほぼ唯一のものとして特筆に値します。