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伊達の鉄砲軍団

伊達家は鉄砲が異様に多い

伊達家といえば、鉄砲隊のイメージですよね。
では、鉄砲の割合は、実際にどれくらいなのか、関ヶ原の時の陣立書を見てみましょう。
「伊達政宗最上陣覚書 」(『伊達家文書』二 、七〇八号)によると、鉄砲は1100 挺で、騎馬は330騎、弓は200張、槍は650本です。
従者は含まない数ですが、鉄砲が半分近くを占めています。
次に、大坂夏の陣の陣立書を見てみます。
「伊達政宗大坂夏の陣陣立書」によると、鉄砲は3470挺で、騎馬は560騎、弓は100張、槍は1310本です。
関ヶ原の際から、さらに鉄砲の割合が向上し、もはや「ほぼ鉄砲隊」といえる状況。
これは他の大名家には見られない特色です。

騎馬鉄砲隊は実在したか

また、伊達家のトレードマークとして有名なのが、騎馬鉄砲隊です。
もっとも、従来、馬上での射撃は非常な困難を伴うことなどから、騎馬鉄砲隊の実在性は否定されがちでした。
出典が、いわいる軍記物の『常山紀談』(江戸中期の成立)で、史料的信頼性が高くないのも理由の一つでしょう。
しかし、騎馬鉄砲隊がこの時代、存在しなかったかというと、そうではありません。
比較的信頼性が高いとされる『別所長治記』や前田家の『大坂出陣覚書』には、 「馬上鉄砲」に関する記述が出てきます。
その他さまざまな理由により、筆者は、数は少ないながら馬上鉄砲はいたのではないかと思います。

あなたは騎馬鉄砲隊は実在したと思いますか?

雑賀孫市が伊達家に仕えていた

紀州には鉄砲の傭兵集団「雑賀衆」がおり、雑賀孫市と名乗る頭領がいた事実はよく知られています。
孫市を名乗る人物は何人かいました。 (余談になりますが、この時代は、「孫市などの通称は頻繁に相伝される」ので誰が本当の孫市かという議論は無意味です)
孫市を名乗る一人、鈴木重朝は、関ヶ原の後、伊達家に士官しています。関ヶ原 の前哨戦となる伏見城攻めでは西軍に与し鳥居元忠を討った鉄砲名人です。
政宗は、武芸者技術者を高禄をもって遇することが多く、重朝の鉄砲術に目を付けたことは容易に想像できます。
重朝は、後に政宗を介し徳川家に仕えますが、伊達家にいる時代に、なにを伝えたのでしょうか。
ひょっとしたら、大坂の陣で真田幸村と激闘を繰り広げた鉄砲隊の中には、重朝から手ほどきを受けた射手がいたのかも知れませんね。
あれこれ想像を膨らましてみるのも歴史の楽しみの一つですよね。